F-5E's   Page

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↑ オフィシャル・パンプキン・スキームと呼ばれるタイプで タン色の部分が薄くなっている。上の白黒写真の73-00865は、1980年撮影であるから その翌年に変更されたものと思うが、機体によってはオフィシャル・パンプキンからパンプキンに変更になった機体もあるようだ。72-01406、73-00865、73-00866などがこの塗装で確認されている。

↑ ベトナム空軍迷彩(VNAF Scheme)と呼ばれるマーキングの代表例を2つ。上は、1980年に確認された塗装例で所属する部隊を表すインシグニアやラインなどは一切書かれていなかったタイプ、下は、おそらく後日57th FWWの統一されたマーキングに合わせて塗り替えられたものと思われる、写真が残っているが時期は不明。

↑ リザード(トカゲ)、スネーク(蛇)の次に並んだ動物シリーズ,フロッグ・スキーム。ネリスで2−3機しかいなかった希少なマーキングであったが、色の組み合わせは印象に残るのもだ。
1972年にネリス空軍基地に創設された第64戦闘機兵器中隊(64th FWS)が、米空軍最初のアグレッサー飛行隊である。後にもう1つのアグレッサー飛行隊第65戦闘機兵器中隊が創設され、この2つの飛行隊で第57戦闘機兵器航空団(57th FWW)が構成された。1980年以降、日本のマスコミでも米空軍のアグレッサー部隊が番組で取り上げられる様になり、テレビ特番でも時折報道されるようになったが、それは彼らがアメリカ空軍に属していながら、まるで当時のソ連空軍のような出で立ちで構えていたからである。航空団指令のデスクの背中の壁には大きなソ連国旗が掲げられ、オフィスの各所に赤い星が飾ってあった。実にアメリカらしいが、最大の仮想敵国であった当時のソ連の空軍部隊になりきって訓練にあたると言う、意気込みを示したものである。
 彼らの訓練は、意気込みだけではない、装備するT-38〜F-5Eと言った機体は、Mig -21に近い小型の機体で 当時のF-4ファントムのような目立つ排気スモークも出さない。このF-5EをMig-21などに見立て 戦術思想も取り込んでの訓練である。実に徹底したやり方で合理的といえるだろう、ベトナム戦で空対空ミサイルに頼りすぎて 空中戦の技量を軽視していたがために 多くの失敗と犠牲を出した教訓をすぐ生かして対応するところがアメリカ軍のすごいところである。思えば日本軍は、太平洋戦争中 米軍の物量に圧倒されただけでなく、空母、レーダー、近接信管の事例を出すまでも無く、僅かな失敗をも教訓としてすぐ合理的対策を講じるアメリカ軍の力量にも負けたわけである。

↑ Mig-29とSu-27がデビューする前までは、ワルシャワ条約機構軍の最新鋭機はMig-23とMig-25であった。Mig-25が制空戦闘機だったので、戦術戦闘ではMig-23を相手にすることが多いはずと考えた西側諸国は、Mig-23の迷彩なども積極的に取り入れた。フロッガーとはMig-23のNATOコード名である。この迷彩を施されたF-5E/Fが10機近く存在した。

↓ 下の2機は、南ベトナム空軍の迷彩パターンを施したタイプで、インテークの横に国籍マークが入っているのが大きな違いである。南ベトナム空軍には多くのF-5Eが供与され、ベトコンの制圧など地上攻撃を主に使われた。ベトナム戦争終了直前、数十機は亡命などで近隣のタイなどに逃げたが、殆どは新制ベトナム政府が接収し、そのままの迷彩色でベトナム空軍機として使用される事になった。1980年代に南ベトナム空軍のベトナム迷彩がアグレッサーに登場するのも、当時まだ仮想敵国であったベトナム軍を想定したものと推定する。
↑ 当時 珍しいかったのが 機種のモデックスナンバーが3桁のミディアム・グレーンとタンの2色迷彩パターンの機体。パンムキン・スキームと呼ばれる迷彩パターンで 1980年2月頃から登場したタイプである。パンプキン(かぼちゃ)と名付けられたのは、かぼちゃの皮と実の色の組み合わせに似ているからである。この迷彩は、当時のワルシャワ条約軍のMig-21迷彩パターンを模していると言われる。少なくとも 4機程がこの迷彩パターンを採用していた。(73-00846、73-00847、73-00865、73-00866)
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(73-1636)
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(73-1635)

↑ アラブ諸国のミグ戦闘機などに施された砂漠迷彩を取り入れたもので、4機ほどに施されたが、色具合は各機バラバラで統一感はなかった。この他茶系迷彩ではニュー・リザードがあったが、これは後日イラストにし紹介予定。